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コラム

頭の中に映像がなくても抽象思考はできる——アファンタジア研究が問う想像力理論

2026年9月1日
最終更新: 2026年10月7日
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「頭の中で絵として思い浮かべられないと、本当に理解したとは言えない」——この感覚に、心当たりはないでしょうか。図形の証明を考えるとき、頭の中に図を描く。道徳的なジレンマを考えるとき、具体的な場面を思い浮かべる。イメージが浮かんだ瞬間に「わかった」と感じる。

では、そもそも頭の中にイメージを思い浮かべられない人は、こうした抽象的な理解に苦労しているのでしょうか。

この記事では、その問いに正面から向き合った研究を手がかりに、「わかる」とイメージの関係を考え直します。

一次資料として、PubMedの書誌情報と要旨(Aphantasia as a challenge for Humean abstraction、DOI 10.1016/j.neuropsychologia.2026.109465)を2026年10月7日に確認しました。Neuropsychologia 227(109465)の掲載論文です。大学のプレスリリースとeurekalert、neurosciencenews、medicalxpressの報道は補助資料として扱います。

先に断っておきます。PubMedで論文の書誌情報と要旨は確認できましたが、掲載誌の全文は取得できていません。したがって、実験デザインや被験者数など本文でしか確認できない情報は扱いません。要旨と報道が伝える範囲を分けて書きます。

30秒で要点

  • PubMedの要旨は、アファンタジアを手がかりにHumeの心的イメージ中心の抽象理論を批判的に検討する論文だと示す
  • 論文は、重度のアファンタジアの人も抽象的に考えられるため、抽象化は個別のイメージを想像的に使うことを必須としないと論じる
  • 論文はNeuropsychologia 227(2026年7月3日、109465)、DOI 10.1016/j.neuropsychologia.2026.109465で書誌を確認できる
  • 幾何学・道徳・数学や代替説明の詳しい実験手続きは、大学発表と報道による補足であり、本文未確認の範囲を残す
  • イメージが湧くかどうかではなく、別の具体例への適用と言い換えで理解を確かめる
視覚イメージの有無と抽象思考を分けて考える図
イメージは理解の手段の一つ。要旨が示す理論上の挑戦と、本文未確認の境界を分ける。

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用語意味
アファンタジア(aphantasia)視覚的な心的イメージを、意図的に思い浮かべることができない、または著しく制限されている状態
イマジズム(imagism)抽象的な思考は、心的イメージの組み合わせや操作から生まれるとする考え方。本記事ではヒュームの理論をこう呼ぶ
心的イメージ(mental imagery)実際には目の前にないものを、頭の中で視覚的な像として思い浮かべる働き
抽象概念(abstract concept)幾何学の図形や道徳的な原則のように、具体的な物体として存在しない概念

なぜ「イメージできる=理解している」と感じるのか

この感覚がどこから来るのか、まず考えておく価値があります。

多くの人にとって、抽象的な内容を考えるとき、何らかの視覚的なイメージが自然に伴います。三角形の内角の和を考えるとき、頭の中に三角形が浮かぶ。難しい判断を迫られたとき、具体的な状況が思い浮かぶ。イメージが伴う思考しか経験したことがない人にとって、「イメージが伴う」ことと「理解している」ことは、ほとんど分かちがたく結びついています。

この結びつきを理論として定式化したのが、18世紀の哲学者デイヴィッド・ヒュームです。ヒュームの考え方——本記事では便宜的に「イマジズム」と呼びます——では、抽象的な思考そのものが、具体的な心的イメージの組み合わせや操作から生まれるとされます。三角形一般についての思考は、個々の三角形のイメージを重ね合わせたようなものだ、という発想です。

この考え方が正しければ、1つの予測が導かれます。視覚的なイメージを思い浮かべられない人は、抽象的に考えることに苦労するはずだ。この予測を検証できる集団が、アファンタジアを持つ人々です。

研究が報告していること

PubMedの要旨は、Humeの理論では抽象化が心的イメージの想像的操作に依存するはずだが、重度のアファンタジアの人も抽象的に考えられるため、抽象化は個別のイメージを想像的に使うことを必要としないようだ、と論じています。幾何学・道徳・数学という具体例や流暢さの記述は、大学発表と報道が補足している範囲として扱います。

研究者は、この結果を先の予測に対する反証として位置づけています。Tooming准教授の発言として、3つの報道すべてに共通して次の言葉が引用されています。「もし抽象思考が本当に心的イメージを必要とするなら、アファンタジアを持つ人は抽象的に考えることに苦労するはずだ。彼らは苦労していない。」

さらに、medicalxpressの報道によれば、研究はヒューム説を擁護しうる複数の代替説明——非視覚的な感覚イメージ、意図しない不随意のイメージ、空間的な表象、言語にもとづく推論、無意識のイメージ——を体系的に検討した上で、いずれも棄却したとされています。そのうえで、アファンタジアは単なる例外ではなく、イマジズム的な認知観そのものへの実質的な反証だと結論づけている、と報じられています。

ここは1点、留保が必要です。この要約はmedicalxpressの報道によるものであり、論文本体は今回確認できていません。個々の代替説明がどのようなロジックで棄却されたのか、その論証の妥当性については、本記事では判断しません。

「わからないと理解していない」という前提のねじれ

この研究が突きつけているのは、私たちが日常的に使っている「わかる」の判定方法についての疑問です。

抽象的な議論や判断を仕事にする人ほど、「イメージが浮かぶかどうか」を理解度の代理指標として使いがちです。企画書を読んで場面が思い浮かべば「腹落ちした」と感じ、浮かばなければ「まだ理解が浅い」と感じる。これは自然な感覚ですが、その自然さは、自分にイメージを伴う思考の経験があることに由来しているだけかもしれません。

イメージを伴わずに抽象概念を扱えている人が存在する以上、「イメージが浮かぶこと」は理解の必要条件ではないことになります。だとすれば、「イメージが浮かばない」という感覚を、理解が浅いことの証拠として扱うのは、行き過ぎた一般化です。自分の思考の経路を、他人や自分自身の理解度を測る唯一の物差しにしてしまう——これが、この前提が生まれる構造です。

同じ構造は、抽象的な議論の場でも起きえます。ある提案について「イメージが湧かない」と感じたとき、それは提案の中身が曖昧だからかもしれませんし、単に自分がその種の思考にイメージを必要とするタイプなだけかもしれません。この2つを区別せずに「イメージが湧かない=説明が悪い」と結論づけると、実際には十分に筋が通っている提案を、誤って却下することになりかねません。

この前提が組織の判断を歪める場面

この前提のねじれは、個人の中だけで完結しません。会議やレビューの場では、他人の理解度を推し量る場面が頻繁にあります。

たとえば、抽象度の高い戦略やフレームワークを説明したとき、聞き手が「ちょっとイメージが湧かないですね」と言ったとします。この一言だけでは、原因が2通りに分かれます。説明の側に曖昧さがあるのか、それとも聞き手がその種の内容をイメージという経路で処理するタイプではないだけなのか、この時点では区別がついていません。それにもかかわらず、多くの場では反射的に「説明が悪かった」と受け取られ、話し手が図解や比喩を追加する対応に向かいます。

この対応が無駄になるとは限りませんが、原因を切り分けずに一律の対応をすると、的外れになる場合があります。聞き手の側の処理特性が理由であれば、図を増やしても効果は薄く、具体例への適用や言い換えを求める方が有効です。逆に説明の側に曖昧さがあれば、図解より先に、前提や定義を詰め直す必要があります。「イメージが湧かない」という同じ言葉の裏に、対応の異なる2つの原因が隠れている、という点が実務上の要注意点です。

評価する側に立つときも同じ切り分けが要ります。提案や報告を読んで「腹落ちしない」と感じたとき、それが提案の論理的な欠陥によるものか、自分の理解の経路がその内容と噛み合っていないだけなのかを、決めつける前に確認する価値があります。

判断軸の提示

「イメージが浮かぶかどうか」を、自分や相手の理解度を測る基準にしないこと。

抽象的な内容を評価するときは、次の基準に置き換えます。

  1. その概念を、別の具体例に適用できるか — イメージの有無ではなく、応用できる範囲で理解度を測る
  2. その概念を、自分の言葉で言い換えられるか — 再構成できるかどうかは、イメージとは独立に確認できる
  3. 「イメージが湧かない」という感覚が出たら、内容の曖昧さと自分の思考特性のどちらが原因かを切り分ける — 前者なら質問し直し、後者ならイメージ以外の理解経路(言語的な言い換え、応用例での確認)を試す
  4. 相手が「イメージできない」と言った場合も、同じ切り分けをする — 説明が悪いのか、相手の思考の経路が違うだけなのかを、決めつけずに確認する

イメージは、理解を助ける手段の1つではありますが、理解そのものの証明ではありません。この区別を持っておくと、イメージに頼れない場面でも、理解度を判定する手段を失わずに済みます。

確かなことと、まだ確かではないこと

確かなこと: PubMedはTooming氏とJakapi氏の論文をNeuropsychologia 227(109465、2026年7月3日)として記録し、DOIも示している。要旨は、重度のアファンタジアの人も抽象的に考えられるため、抽象化は個別の心的イメージを想像的に使うことを必要としないようだと論じ、Humeの理論と広いイメージ中心の認知モデルへの挑戦と位置づけている。

まだ確かではないこと: 掲載論文の全文は未取得のため、実験デザイン・被験者数・具体的な検証手続きは確認できていない。代替説明を棄却する個々の論証の妥当性も、要旨と報道の要約以上には評価できない。また、この論文は判断力や仕事の成績の優劣を示すものではない。

自分でも試せる、最小の検証

直近で「イメージが湧かないから、まだよくわかっていない」と感じた抽象的な内容を1つ思い出してください。

その内容について、イメージを使わずに、別の具体例に当てはめられるか、あるいは自分の言葉で言い換えられるかを試します。どちらかができれば、イメージが湧かなかったことと、理解していないことは、別の話だったことになります。どちらもできなければ、原因はイメージの有無ではなく、内容そのものの整理不足かもしれません。

この切り分けを1回試すだけで、「イメージが湧く/湧かない」を理解度の判定に使う癖に、自分がどれだけ依存していたかに気づきやすくなります。

よくある質問(FAQ)

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