完成図のないパズルを、
私たちはずっと触り続けている。
どこかに正しい形があると
信じているわけでもない。
ただ、手元にあるピースを
置いてみて、
違和感を覚え、
また外す。
それだけのことを、
人は「思考」と呼ぶのかもしれない。
答えが欲しくて
考えているわけではない。
考えずにいられないから、
考えている。
もし正しい答えが
最初から存在していたのなら、
それはもう
人間の仕事ではないだろう。
AIは、
驚くほど整った配置案を提示する。
滑らかで、
合理的で、
ほとんどの場合、
間違っていない。
それを使うこともあるし、
頼ることもある。
それでも、
その配置を
「完成」と呼ぶ気にはなれない。
恐れていない。
信仰もしていない。
ただ、
この存在が
人間の足元を
静かに揺らしていることは
確かだと思っている。
正解がない世界は、
不安だ。
同時に、
どこかで
息がしやすい。
間違えてもいい。
戻ってもいい。
考え直してもいい。
それは
優しさではなく、
前提だ。
考えることは、
役に立つための行為ではない。
完成させるためでも、
勝つためでもない。
ただ、
関わり続けるための
姿勢のようなものだ。
もしここまで読んで、
少しだけ
落ち着かなかったなら、
それでいい。
このテキストは
安心させるために
書かれていない。
ただ、
同じ場所に立っている
誰かがいるかもしれない、
という痕跡として
置いてあるだけだ。
世界は、
まだ解けていない。
そしてたぶん、
解けない。
それでも、
触り続けることを
やめない。
それが、
人間であるということなのだと
今は思っている。