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喜びの6倍、心を重くするもの——「待てない」「避けたい」の正体

2026年8月21日
最終更新: 2026年8月21日
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喜びの6倍、心を重くするもの——「待てない」「避けたい」の正体

喜びの6倍、心を重くするもの——「待てない」「避けたい」の正体

結果が出るとわかっている判断を、なぜか先延ばしにしてしまう。リスクの小さい選択肢だとわかっていても、なぜか手が出ない。こうした「待てない」「避けたい」という感覚は、意志の弱さの問題として語られがちです。「もっと計画的にやるべきだ」「腹をくくれば済む話だ」というふうに、性格や心構えの問題として片づけられることも少なくありません。

しかし、英国バース大学の研究チームが2026年1月20日にCognitive Science誌へ発表した論文は、これを意志の問題ではなく、感情の非対称な働き方の問題として描き出しています(Chris Dawson氏・Samuel G B Johnson氏「Asymmetric Anticipatory Emotions and Economic Preferences: Dread, Savoring, Risk, and Time」、50巻1号e70160、DOI: 10.1111/cogs.70160。全文はPMCのオープンアクセス版で確認できます)。この記事では、この論文が示した「予期段階の非対称性」という切り口を、査読済み研究の知見であることを明示しながら整理します。

30秒で要点

  • 未来の損失を予期する不快感(dread)は、同額の利得を予期する快感(savoring)を上回るという非対称性が確認された(Cognitive Science誌、2026年1月20日、DOI: 10.1111/cogs.70160)
  • バース大学の公式発表によれば、この予期段階の非対称性は6倍超で、すでに起きた損得の非対称性(約2倍、プロスペクト理論で知られる水準)とは別の層にある
  • この非対称性が強い人ほど、リスクを避け、かつ「待つ」ことを嫌う傾向があった
  • ただし相関の分析であり、因果の向き・日本を含む他文化への一般化は、この研究だけでは確定していない

用語意味
dread(ドレッド)未来の損失を予期したときに感じる不快感
savoring(セイヴァリング)未来の利得を予期したときに感じる快感
予期的非対称性dreadの強さがsavoringの強さを上回る度合い。本研究では、実際に起きた損得の非対称性(約2倍)とは異なる水準として報告されている

「結果を待つのがつらい」は、「結果が怖い」とは別の感情かもしれない

多くの人は、損失回避という言葉を知っています。同じ金額でも、失う痛みは得る喜びより強く感じる、という現象です。First byteでも、プロスペクト理論の記事でこの「約2倍」という水準を紹介しています。

しかし、この論文が扱っているのは、少し違う場所にある感情です。損失回避が扱うのは「結果が確定した後」にどう感じるかです。この論文が扱うのは「結果がまだ確定せず、待っている間」にどう感じるかです。損得の受け取り方の非対称性と、結果を待つ過程そのものの非対称性は、別の心理構造だという整理が、この記事の出発点です。

論文のAbstractは、この点をこう述べています。「未来の損失を予期することから生じる不快感は、同等の利得を予期することから得られる快感を上回る傾向がある」。そして、「予期的な感情の非対称性がより強い人ほど、リスク回避的であり(下振れリスクを考えることからより大きな不効用を得るため)、かつ性急である(リスクについて考える時間を最小化したいため)」とも記しています。括弧内の「なぜそうなるか」という説明は、著者らが提示するモデルであり、独立に検証された因果関係ではない点には注意が必要です。

「6倍」という数字が意味していること

バース大学の公式発表は、この非対称性の大きさについて具体的な数字を示しています。「人が未来の損失を想像するとき、dreadの感情的なインパクトは、同等の利得を予期したときの喜びよりも6倍以上強い」というものです(バース大学発表 “New research reveals how dread shapes decision-making”)。

一方で同じ発表は、「実際に起きた損失の感情的インパクトは、同等の利得のおよそ2倍であり、確立された損失回避の経済理論と整合する」とも述べています。つまり、「結果が確定した後」の非対称性は約2倍というこれまでの知見と一致し、「結果を待っている間」の非対称性はそれよりずっと大きい6倍超だった、という2層構造がこの研究の核心です。

ここで正確を期すべき点があります。この「6倍超」「約14,000人」という数値は、論文本文のAbstractには現れておらず、バース大学の広報による発表に記載されているものです。分析対象は1991年から2024年までのデータで、対象は約14,000人とされていますが、調査名そのものは大学発表にも明記されていません。英国のデータであることは確かですが、具体的な調査の名称を断定することは避けるべきです。

統制してもなお残る、そして残る問い

この研究のもう1つの特徴は、予期的dreadの効果が、個人の性格や状況を考慮してもなお確認された点です。バース大学の発表によれば、「予期的dreadの効果は、パーソナリティ特性・精神的健康・所得・学歴を統制してもなお有意だった」とされています。

これは、「単に神経質な人がそう感じているだけ」という説明では片づけられないことを示唆しています。ただし、統制してもなお有意であることと、因果関係が確定していることは別の話です。恐れが強いからリスクを避けるようになったのか、それとも、もともとリスクを避けやすい特性を持つ人が、結果を待つ過程をより強く恐れるようになるのか。この研究は相関を分析したものであり、恐れの強さを実験的に操作したわけではないため、因果の向きは確定していません。

論文は、dreadとsavoringの個人差を測定し、それをリスク選好・時間選好と結びつけたのは「知る限り、この研究が初めて」だとも述べています("To our knowledge, this study is the first to elicit individual levels of dread and savoring and relate them to risk and time preferences.")。これは著者ら自身による位置づけであり、「世界初の発見」だと断定する意味ではありません。

自分の先延ばしを、2つの層に分けてみる

この2層構造は、日々の判断を振り返る補助線になります。ある判断を先延ばしにしているとき、その理由は「結果そのものが怖いから」なのか、それとも「結果が出るまで待つ過程そのものが苦痛だから」なのか。この2つは、同じ「先延ばし」という行動の裏にありながら、由来する感情が違います。

前者は、損失回避としてよく語られる領域です。すでにこの記事で触れたように、プロスペクト理論が扱う「結果が確定した後の痛み」に近い構造です。後者は、この論文が新たに切り出した「待っている間の苦痛」の領域です。

ここで一つ、前提として明確にしておくべきことがあります。この非対称性が査読済み研究の知見として確認されていることと、その知見を日本のビジネス文脈にそのまま一般化してよいことは、別の問題です。対象データは英国のものであり、文化的な背景が異なる集団でも同じ大きさの非対称性が現れるかどうかは、この研究だけでは分かりません。「6倍」という数字を、自社の意思決定にそのまま当てはめて語ることはできない、という留保を持ったまま読む必要があります。

経営判断の場面に置き換えるとどう見えるか

この研究が扱っているのは個人を対象にした心理データであり、経営判断そのものを検証したものではありません。それを踏まえたうえで、この2層構造を補助線として仕事の場面に当てはめて考えると、いくつかの局面が見えてきます。

たとえば、契約更新の判断を先延ばしにしている場面。相手からの返答が悪い内容かもしれないという「結果への恐れ」が理由なら、必要なのは判断材料を集めて結果そのものへの不確実性を減らすことです。一方、「返答が来るまでの数日間、ずっとそのことを考え続けるのが嫌だ」という「待つこと自体への苦痛」が理由なら、情報を集めても解決しません。むしろ、返答が来る期限を先に区切ってしまう、あるいは判断を他の担当者に一時的に預けて自分の意識から外す、といった「待つ時間の設計」のほうが効きます。

新規事業の投資判断を先送りにする場面も同様です。「損失が出たときの痛みが怖い」のか、「承認が下りるまでの数週間、意思決定の重さを抱え続けるのがつらい」のかは、対処の方向がまったく異なります。後者であれば、意思決定のプロセスそのものを短縮する、判断を細かい区切りに分けて都度小さく決めていく、といった設計上の工夫の方が、闇雲にリスクを洗い出すより効果的かもしれません。ここで挙げた例は、この論文の知見を実務の場面に当てはめて考えるためにFirst byteが構成したものであり、論文自体がビジネス上の意思決定を検証した結果ではない点に留意してください。

自分でも試せる、最小の切り分け

いま自分が先延ばしにしている判断を1つ思い浮かべてください。そのうえで、次の問いを自分に向けてみます。「これを避けたいのは、結果そのものが怖いからか、それとも、結果が出るまで待つ時間そのものが苦痛だからか」。

もし後者に近いなら、対策の方向性は「結果への恐怖を和らげること」ではなく、「待つ期間そのものを短くする、あるいは待つ間の情報を細切れにして受け取れるようにすること」かもしれません。この論文が示した2層構造を知っているだけで、同じ「避けたい」という感覚の中にある違う原因を、切り分けて考えられるようになります。

大事なのは、この切り分けを一度やってみたからといって、答えが自動的に出るわけではないという点です。むしろ、「自分がいま何に苦痛を感じているのか」という、これまで一括りにされていた感覚の中身を、2つに割って眺め直すこと自体に意味があります。

確かなことと、まだ確かではないこと

確かなこと:バース大学の研究チームが、予期段階のdreadがsavoringを上回るという非対称性を、査読済み論文として2026年1月20日に発表したこと。この非対称性が強い人ほどリスク回避的・性急である傾向が、統制変数を入れてもなお確認されたこと。

まだ確かではないこと:この非対称性の因果の向き(恐れが行動を生むのか、行動特性が恐れを強めるのか)。英国以外の文化圏、特に日本の意思決定にこの非対称性がどの程度当てはまるか。「6倍」という具体的な倍率は、論文のAbstractではなく大学広報の発表に基づく数値であること。

これらの区別を保ったまま、この研究を「待てない」「避けたい」という自分の感覚を理解する一つの補助線として使うのが、この記事が提案する読み方です。数字の大きさそのものよりも、「結果を受け取ったときの感じ方」と「結果を待っている間の感じ方」が別の心理として働きうる、という構造を持ち帰ることのほうが、この記事にとっては重要です。


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